アジアツアー、オーストラリア公演を成功させたロックバンド・RADWIMPS。
『前前前世』や『有心論』、『25個目の染色体』などが有名な彼らですが、それらの歌詞に「好き」や「愛している」など直接的に愛を伝える言葉は使われていません。
そんな中、異色な楽曲が2013年に発売されたアルバム『◯と×と罪と』に収録されました。それが『五月の蝿』です。「僕は君を許さないよ」から始まる愛を歌った楽曲ですが、どんな意味が込められているのでしょうか。
今回はそんな『五月の蠅』の歌詞の意味を考察し、楽曲の魅力をお伝えします!
RADWIMPS『五月の蝿』は究極のラブソング
p.h. 歌詞のようにグロテスクな表現が散りばめられている『五月の蝿』。「五月の蝿」という文字列、うるさい(五月蝿い)という言葉として読むことができます。
発売当時、女優・吉高由里子さんとの破局が報じられていたタイミングでもあったため、吉高さんに向けられた憎しみの曲なのでは?という声も少なからずあったように感じます。
しかし、歌詞を読み取っていくとその憎しみ(吉高さんに向けたものであろうが、なかろうが)も「愛していたからが故の憎しみ」だったようですので、解説していきます。
序盤:深い憎しみ
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僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ
君が襲われ 身ぐるみ剥がされ レイプされポイってされ途方に暮れたとて
その横を満面の笑みで スキップでもしながら 鼻歌を口ずさむんだ
僕は君を許さない もう許さない もう許さないから
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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繊細な歌詞、楽曲の世界観を持つRADWIMPSにおいて、異色な冒頭とも言える緊張感のある歌いだしと「僕は君を許さない」というフレーズの繰り返し。ここから“憎しみ”の強さが伝わってきます。
中盤:「究極の愛」から生まれた「憎しみ」
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空が蒼いように 華が散るように 君が嫌い 他に説明は不可
君が主演の映画の中で 僕はそう 最強最悪の悪役
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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中盤から終盤にかけて物語が急に紐解けてきます。
序盤こそヒステリックな表現が続いてましたが、自然現象のように“君が嫌い”と表現するようになっていきます。
そして“君が主演の映画の中で最強最悪の悪役”という歌詞から、君を苦しめる存在でありたいと望むようになりました。
本当は彼女のことを深く思っているから、完全でサイコパスな悪役になりきっています。
なぜそこまでのめり込んだのでしょうか。
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激動の果てに やっと辿り着いた 僕にもできた絶対的な存在
こうやって人は生きてゆくんでしょう? 生まれて初めての宗教が君です
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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2人の関係は恋人という関係を超え、“僕”にとって“君”は絶対的な存在(宗教)だったのです。
カタチを変えてしまった“許さない”という憎しみは、生きて行く上で人間が必要としていた“究極の愛”から生まれたものだったのです。
終盤:言葉の裏に込められた究極の愛
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僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ
君の愛する我が子が いつか物心つくとこう言って喚き出すんだ
「お母さんねぇなんで アタシを産んだのよ」
「お母さんの子になんて産まれなきゃよかった」
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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我が子というのは母親にとって最愛の存在であり、2人の愛の証です。我が子が物心ついたころから“生まれなきゃよかった”という様子は残酷であり、これこそ“最強最悪の悪者”としての復讐なのでしょう。
そして次のようにこの復讐劇に幕を降ろします。
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そこへ僕が颯爽と現れて 両の腕で彼女をそっと抱きしめるんだ
君は何も悪くないよ 悪くないよ 悪くないから」
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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愛する我が子にこれ以上ない言葉を浴びせられ、絶望の淵にいる愛する“君”に「君は何も悪くない」と語りかけるのです。
さながら火曜サスペンスのエンディングのようですよね。
最後に
今回はRADWIMPSの『五月の蝿』について歌詞の意味を考察してきました。
結局五月の蝿 意味としては単なる“五月蝿い”ではなく、蠢き出す五月ごろの蝿のように彼女にまとわりつく自分を指しているのかもしれませんね。
振り幅が非常に大きなRADWIMPSの楽曲。今後も話題作が様々生まれてくるでしょうから、楽しみに待ちたいですね!
RADWIMPSのHPで曲のタイトルが『五月の蝿』となっているため、本文では“蝿”で統一しています。